妻を親友に寝取られ指輪付きのまま中出しされた夜を妄想で自慰する夫・第1話【夫】
結婚三周年の二次会、雨で終電を逃した妻を『佐倉に送ってもらえ』と俺が言った。半年後、俺は指輪の裏返し・クリーニング袋の白シャツ・SNSのコメント抜けから、あの夜を組み立てていた。問い詰めず、ただ布団の中で妄想して自分を慰める寝取られ被害夫の告白ノート・第1話。
妻が抱かれた夜のことを、俺はあとから知った。知った日にも、俺はそれを口に出さなかった。
半年が経った今朝も、俺はダイニングの椅子に座って、美咲が淹れたコーヒーを飲んでいる。湯気が湯呑みの縁を撫でて、テーブルの木目に落ちる。美咲はキッチンで朝食用のトーストを焼いていて、左手でフライ返しを持ち、右手で時計を見ている。左手の薬指に、結婚指輪がある。プラチナ、内側に「2023.4.14 T&M」。三年と少し前、俺が選んで、俺が嵌めた。
その指輪が、半年前のある朝、裏返しに嵌まっていた。それを俺は覚えている。覚えているし、覚えていることを誰にも言わない。
俺は拓郎、三十四歳。大手食品メーカーの営業企画。妻は美咲、三十一歳。元小学校教諭。今は在宅で教材の制作をしている。結婚して三年と少し。子どもはまだいない。仲が悪いわけではない。喧嘩らしい喧嘩もない。妻自慢が口癖だった、と過去形で書いているのは、半年前から俺は妻のことをSNSに書かなくなったからだ。
書かなくなった理由は、書いてある。これから書く。
四月十四日、土曜日。結婚三周年を祝う二次会を、俺が幹事になって新宿のダイニングバーで開いた。大学テニスサークルの仲間が八人集まった。佐倉もいた。佐倉は俺の大学からの親友で、結婚式のときに受付を任せた男だ。独身、IT系、年は俺と同じ三十四。美咲とは結婚式以来、二、三度しか顔を合わせていないはずだった。「はず」と書くのは、半年後の俺がもう「はず」を信じていないからだ。
夜の十一時頃から雨になった。予報になかった雨で、店を出ようとしたサークル仲間が傘を持っていなくて笑った。俺は翌朝、会社の研修会場へ直行する予定だった。ここ数年、年に二、三度、二次会の翌朝に研修が入るとビジネスホテルに単身で泊まる慣習があった。妻が「酒臭い帰宅」を嫌がる、と俺は思い込んでいた。実際に嫌がられた記憶はない。思い込みのほうが、自分の段取りの良さを正当化するのに都合がよかった。
俺はその夜も、ホテルにチェックインしていた。店を出る前、雨の中で美咲が傘を持っていないことに気づいた。サークル仲間のうち、方角が同じなのは佐倉だけだった。俺は何のためらいもなく言った。「美咲、雨だから佐倉に送ってもらえ。」
この一言が全てを開いた、と半年後の俺は知っている。
翌朝、俺はホテルから研修会場へ直行し、夜七時頃に帰宅した。美咲はいつもより少し長くシャワーを浴びていた。長かった、と俺が気づいたのは半年後の今だ。あの夜の俺は、ただ「ああ、雨で濡れたからな」と思った。洗濯機の回るタイミングがいつもより遅かった。これも、後から思い出した。
その翌朝、俺はSNSに、前日の昼に撮った美咲とのツーショットを上げた。キャプションには「結婚三周年。美咲は俺の自慢」と書いた。いいねが百四十三件付いた。そのうちの一件は佐倉のアカウントからだった。佐倉はその投稿にコメントを書かなかった。これも、後から数えて気づいた。佐倉は俺のSNSにいつもコメントを書く男だった。短い茶々を入れるか、絵文字を一つ二つ並べるか。コメントがなかった俺の投稿は、過去三年で、たぶんあの一件だけだ。
「たぶん」と書くのは、半年かけて俺がスクロールしたからだ。三年分の俺のSNSを、スクロールバーが摩耗するくらいの回数、上から下までさかのぼった。佐倉のコメントがなかったのは、あの三周年投稿だけだった。
三週間後の朝、俺は寝室で着替えていた美咲の左手を、なんとなく見た。指輪が裏返しに嵌まっていた。刻印が、内側ではなく外を向いていた。
「指輪、裏返ってるよ」と俺は言った。
美咲は一瞬、自分の左手を見た。それから笑って、「ほんとだ。お風呂のときに外して、適当に戻しちゃったかな」と言って、その場で直した。直す動作は早かった。早い、と俺は思った。早すぎる、とは、その時はまだ思わなかった。
俺は美咲の指輪のサイズを知っている。十一号。結婚指輪を選んだ宝飾店の領収書を、俺は今でも引き出しに入れている。十一号は、美咲の指のサイズにぴったりで、風呂で外す必要がない。三年間、美咲は風呂のときに指輪を外したことがなかった。俺はそれを知っていて、その朝、何も言わなかった。
それから二週間ほど経った頃、クリーニング屋から受け取ってきた袋に、見覚えのない男物の白いシャツが混ざっていた。オックスフォードの生地、Lサイズ。俺はMサイズだ。襟の内側に薄いピンクの口紅の跡があった。美咲が口紅をつける朝は限られている。在宅勤務の日にはつけない。あのシャツがクリーニング袋に入っていた朝、美咲は口紅をつけていた。
「クリーニング、間違いがあったみたいだ」と俺は袋を持って言った。
「あ、ほんと? 私が受け取りで間違えたのかも。明日返してくる」と美咲は言った。
翌日、シャツはなくなっていた。クリーニング屋に返した、と美咲は言った。俺はクリーニング屋に確認に行かなかった。確認に行く、という選択肢を、俺は能動的に放棄した。確認に行けば、知ってしまう。知ってしまえば、行動しなければならない。俺は行動したくなかった。
これが俺の傷の核心だ。怒りでも嫉妬でも屈辱でもない。**俺は知らないふりを、自分の意思で選んでいる。**それを半年間、毎日、自分で確認している。
確信のまえに、俺は一度だけ、佐倉のマンションの前を通った。会社からの帰り道、わざわざ二駅手前で降りて、Googleマップを頼りに歩いた。マンションの一階はガラス張りのエントランスで、宅配ボックスの番号が並んでいた。佐倉の部屋は六階の角だと、結婚式のときに住所を書いてもらったハガキで覚えていた。
その日は雨ではなかった。乾いた九月の夜だった。俺はエントランスの前で五分間立っていた。何かを確かめようとしたのか、ただそこに立ちたかっただけなのか、自分でも分からない。雨ではなかったことに、俺は安心したのか落胆したのか、それも分からない。半年経った今も分からないままで、たぶん一生分からないままだろう。
部屋の窓は見上げなかった。佐倉のSNSも開かなかった。俺は二十分ほどそこにいて、駅まで歩いて電車に乗って帰った。家に着くと美咲が「おかえり」と言って、いつも通り味噌汁を温め直してくれた。俺は「ただいま」と言って、味噌汁を飲んだ。出汁の味が普段より少し濃かった。それを覚えている。
その夜、寝室で並んで横になりながら、俺は美咲の左手をそっと握った。指輪が指の付け根に当たって、ほんの少しだけ冷たかった。美咲は寝息を立てていたが、握り返してこなかった。三年間、寝入っていても握り返してくる手だった。半年前まで、毎晩そうだった。半年前から、握り返ってこない。これも、俺が数えている破片の一つだ。数えてはいるが、もう数字は出さないことにしている。出してしまえば、確信になる。
俺は指輪を内側から薄く撫でた。刻印の溝にうっすらと別の擦り傷があるのを、俺はずっと前に見つけている。細い、線状の傷。プラチナに付くにはそれなりの硬さが必要な傷で、たとえば部屋の鍵の歯のような形だ。佐倉のマンションの鍵を俺は見たことがないから、これは妄想だ。妄想だと自分に言い聞かせて、俺は美咲の手を布団の中に戻した。
濡れ場の話はしない。俺はそれを見ていない。見ていないものを、想像で書くわけにはいかない。書けるのは破片だけだ。
指輪の裏返し。 クリーニング袋に紛れた白いオックスフォードのLシャツ、襟の口紅。 SNSの投稿に、佐倉だけがコメントを残さなかったこと。 帰宅後の長いシャワー、洗濯機を回す時間のズレ。 美咲が佐倉の名前を、あの夜以降、一度も口に出していないこと。三年間、美咲は俺の友人の名前を普通に「佐倉くん」と呼んでいた。あの夜以降、彼女の口から「佐倉」が出てきたことが一度もない。これも俺はずっと数えている。
破片を集めているうちに、俺は破片を集めることの方が、確信よりも大事になっていることに気づいた。確信してしまえば、破片はもう増えない。増えないと困る。俺は破片を増やし続けることで、行動を起こさないでいる自分を肯定し続けている。
これは趣味のようなものだ。誰にも見せない趣味。半年前から、俺の一番熱心な趣味は、自分の臆病さの記録をつけることだった。
半年後の今朝、美咲が皿を運んできた。トーストの焼き加減はいつも通り少しだけ濃い。バターの位置もいつも通り。美咲の左手の指輪は、刻印が内側を向いている。
俺は美咲を問い詰めない。佐倉とも、もう半年飲みに行っていない。最初の三ヶ月は「忙しい」を言い訳にした。半年経った今は、佐倉の方から誘ってこなくなった。誘ってこないことの意味を、俺は考えないことにしている。考えれば破片が増える。今日は破片を増やしたくない朝だ。
「拓郎、最近SNSあげないね」と美咲が言った。
「うん。書くことが特にないからな」と俺は答えた。
美咲は少し笑って、「前は週に二回くらい上げてたのに」と言った。
「飽きたのかもな」と俺は言った。
それ以上、美咲は何も訊かなかった。訊かれたら俺は何と答えただろう。たぶん何も答えなかった。答えないことを、俺は半年かけて練習してきた。
俺の指のサイズも、結婚した時から少しも変わっていない。指輪は今も外したことがない。今日も、たぶん外さない。
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